第39回 経営者が社内で未来を語る際に留意すべきこと
未来に向けたビジョンや目標を掲げ、信頼を高めようとするとき、目の前の仕事に尽力している人にも自分事と捉えてもらうための工夫が必要です。
「お恥ずかしい話なのですが、抵抗勢力といいますか、ちょっと難しい方が社内にいらっしゃいまして・・・」
5回のセッションを経て新たな経営の姿をある程度描き切り、これからその実行に向けて社内に発信をしていこうという場面で、K社長からこのようなことを言われました。
K社は栃木県で長年自動車関連の部品製造を手掛けている会社です。創業100年近い歴史を誇る老舗の企業で、昨年先代から実子である現在のK社長に経営のバトンタッチがなされました。
K社長はまだ35歳と若く、大学卒業後は別の大企業で経験を積んでいましたが、数年前にK社に戻り、取締役を務めた後、社長に就任されました。経営者としては比較的若いといえますが、ご自身でも自社が進むべき道を熟考されており、会社をさらに良くしていきたいという並々ならぬ決意をお持ちの、心から応援したくなる方です。
聞けば、その「難しい方」とは、生産管理を預かる役員の方で、10数年前に生産の効率改善のために大きな貢献をされたそうです。その実績を買われて役員に就任したものの、経営の革新や将来ビジョンの策定など、先を見据えた新たな取り組みにはあまり興味・共感を示さず、否定的な立場をとることも少なくないそうです。
”未来”を見せるだけでは理解は得られない
会社が将来の成長に向けて、新たな経営の仕組みを導入しようとするとき、それを素直に受け入れられない人が出てくるのは仕方がないことです。どうしても過去のやり方を否定するような側面も出てきてしまうため、それを築き上げてきた人々には心のどこかで抵抗が残るものです。
これが一代で会社を大きくしてきたような社長であれば、会社のことはすべて自分で決められるケースが多いので、あまり問題にならないかもしれません。ですが、今回のK社のように、これから新たに経営の旗振りをしていこうとする若手経営者・事業承継した経営者にとっては、頭の痛い課題になりえます。
事業を承継した経営者の場合、特にそれが若い方であれば、自分よりも10歳も20歳も年上で、さらにその会社での実績や事業に対する知見も大きく、社内外でも人脈も豊富・・・そういった人々を従えていく必要があります。
そんな状況で、多くの経営者が取り組むのは、経営者個人に頼った経営から、組織や仕組みを中心とする経営へのシフトです。このこと自体は間違いではなく、会社が経営者ひとりが差配できる規模を超えて大きく成長していくには必要不可欠といってもいいでしょう。
ですが、それを推し進めるときに、「これからは〇〇経営だ!」とか「中期経営計画だ!」といったことを振りかざしても、うまくいかないケースが少なくありません。そもそもその会社で今までやってきたことがない取組みですし、生産や営業などの現場で会社を支えてきた人々からすると「何にも知らないヤツが机上の空論を振りかざしている」といった反応になりがちです。
とはいえ、会社の存続・発展を願う意思が共通のものであるならば、企画段階から一定程度議論に巻き込みつつ、時には歩み寄りもしながら共に将来に向けた検討・実行を行っていくほうがよいでしょう。誠実かつ根気強いコミュニケーションを取ることは前提として、すぐできる工夫があるとすれば、それは「経営者目線の表現に固執せず、相手の立場・時間軸に合わせた表現の置き換えを丁寧に行うこと」です。
象徴的な例として、新たな経営の取り組みを何らかの経営手法・フレームワークで進める場合に、「ありたい姿」という言葉がよく出てきます。会社をより良い方向に変えていくために、その理想形を描くことは大切ですから、数多くの経営論で使われる概念であり、当社のセッションでも頻繁に使用します。
しかし、これを社内のキーパーソンと一緒に考えたり、浸透させていこうという局面においては、目の前の仕事、時にはトラブル対応を一生懸命にこなしている方であればあるほど、絵空事と受け取られたり、そもそもそんな先のことなんて考えても意味がないといった反応が起こりがちです。
とはいえ、未来を描くことや、それを実現する新たな取り組みなくして企業が永続的に成長することは通常難しいです。様々な人々の立場を理解し、うまく巻き込んでいくことも経営者の役割ですから、力量が試される場面ともいえます。
相手視点からの問いかけで、多くを語ってもらう
このようなケースでは、「経営者が考えたことを腹を割ってとことん話し込み、納得させる」といった、いわば正面突破も有力な選択肢ではあります。ですが、少し巻き込み方を工夫することで、より積極的な参画を促すというアプローチもありえます。先ほどの「相手の立場・時間軸に合わせた論点・表現の置き換え」です。
例えば、先述の「ありたい姿」に関する議論の場合、目線が将来を向いていない人にそのまま「〇〇についての”ありたい姿”とは?」と問いかけをしても、実のある議論にはならないでしょう。このような場合、少し言い方を変えて、「〇〇は今のままでいいのでしょうか?」といった、現状にフォーカスするような切り口で問いかける方が興味を得られやすくなりますし、現状を熟知している相手の知見を取り入れることにもつながります。
他にも、当社の場合は「信頼」という言葉をよく使いますが、この「信頼」も一般的には抽象的、かつ理想論的に捉えられがちな表現ではあります。そのため、「もっと信頼される会社になるのはどうすればいいか?」といった言い回しだと、やや議論が空転してしまうかもしれません。このような場合も、当社では「お客様の期待を今よりもっと上回る」とか、「高品質 の製品を確実に提供できると確信して頂ける」といったように、相手に受けられやすい表現に具体化することを推奨しています。
先述のK社長の場合は、このようなお話をした後、その「難しい方」と”現場の課題”のヒアリングと称して意見交換を行って頂きました。もちろん、K社長の頭の中には進めるべき経営改革の像が既にあるので、話に挙がった現場課題を端緒にしつつも、実際には将来施策の説明や共通認識化についても実施することができました。
「先生、おかげさまで〇〇さんにもうまく納得してもらうことができましたよ。それどころか前よりも協力的になってくれたような気もします」
とは後日お会いしたK社長からのうれしいお言葉です。
何も、社内を厳格に統制して引っ張ることだけが経営者の資質ではありません。まだ経験の浅い経営者の方は特に、周囲の協力を引き出しながら事業を前へ進めていきましょう。
そうすれば、社内外からの信頼もおのずと築き上げられていくはずです。
著者プロフィール
トラスタライズ=信頼を対価に変えるコンサルタント
トラスタライズ総研株式会社
代表取締役 池尻直人
企業の「信頼を対価に変える」専門コンサルタント。
独自の「トラスタライズ手法」を用いて、見えない信用や信頼を、目に見えるカタチに変え、対価へと変えることで多くの経営者から注目を集めている。企業経営において社会・顧客双方の価値の創出が求められる時代にあって、「信頼」を切り口に、顧客企業が売上・利益を向上させられる手法の研究・提言を行っている。
著者プロフィール
トラスタライズ=信頼を対価に変えるコンサルタント
トラスタライズ総研株式会社
代表取締役 池尻直人
企業の「信頼を対価に変える」専門コンサルタント。
独自の「トラスタライズ手法」を用いて、見えない信用や信頼を、目に見えるカタチに変え、対価へと変えることで多くの経営者から注目を集めている。企業経営において社会・顧客双方の価値の創出が求められる時代にあって、「信頼」を切り口に、顧客企業が売上・利益を向上させられる手法の研究・提言を行っている。